自分の身体も思考も感情も作るものもすべて自分のものではない。自分のものではない、というのは私がオリジンではないという意味でもあり、私がそれを所有していないという意味でもある。私を含め世界に支配されている。能動的に生きなさい、と言われたが今の自分は受動的もいいところだ。前が能動的だったかは分からないが今よりはましだろう。まず、自分の感情を否定するようになる。思ったことを言えなくなる。そして自罰的になる。すべての原因が自分にあると考え始めるともちろんしんどくなるので、何も考えてはいけない、今思ったことは間違いだと言い聞かせ始める。この段階が一番苦しい。自分の感情をエラーだと思い込まなければいけないのは人ではないと自分自身で理解させないといけないからだ。私はこの段階で自殺を図った。そして思い込ませることに成功したら身の周りや自分のことが人ごとに感じる。自分でない感覚が強くなる。今はここだ。もしかすると生きていた19年の中で一番辛いのかもしれない。けれどはっきりと辛いとは思えない。とりあえず困っているのが、抜け殻になっている今の私にはインプットすることができない。高校生の寝たきりだった時も同じだった。何も入ってこず、回路としての道筋にすらなっていなかった。もう入れることは諦めた。だから今は私にできるアウトプットの方法を探している。自罰的だったころはもうとっくに過ぎたので何もつくれていない自分が人ごとに感じて仕方ない。あまりできてはいないが、ものは残っている。しかし中身の無いまま、ただ手を動かしたりシャッターを切ったものがつくったものとは言いがたい。しかし抜け殻のままこうやって文章を書いたり絵を描いたり木を彫ったり人と話したりをしなければずっと空のままだろう。今日は木を彫ったのと石を並べた。これからまた石を並べに行く。泣きたくなるくらい美しいものに出会いたい。けれどインプットができない今、それは自分自身から産むしかない。