誕生日がきた。玄関で体育座りをしながら雨の音を聞いている。涙が止まらなくて息が上手くできなくなった。私の命はただ軽くて意味を持たなかった。眠っている彼を叩き起こして頼むから私のことを好きになってくれと言ったらどうするだろう。多分何も言わずに抱きしめてまた眠る。私は頭が悪いから、ただ馬鹿にされているだけの相手と少しでも居られるのならば全てを捨ててもいいと思う。この気持ちが愛でないのならばもう何も分からない。人として見てもらえないのに私は魂を捧げてしまっていて、ここにいるのはただ抜け殻でこんなものが歳を取っても何の意味もない。一生愛されることはないと何となく気付いた時から私のこれからは余生に思える。誰か助けてくださいって常に思っているけれど本当は彼以外は何もいらなかった。いくらお金を積んだって手に入らない、私にはどうしようもないことがあるというのを生まれて初めて理解できたかもしれない。最近毎日のようにゆらゆら帝国のボーンズという曲を聴いている。きっともう一人の私はこの曲の中に居る。少し前に私は死んだ。その死んだはずの自分がここに居る。よっぽど死んだ私の方が私だと思う。自分自身で命を絶つ行為は最後の意思表示だ。この方法でしか意思表示できないことは悲しいがこれしかない人もいる。意思表示であり、唯一の結果である。私には何が、どういう死に方が正しいのか分からない。正しさなど求めているのも馬鹿げている、ただの言い訳だろう。今の私には死がほぼ意味を持たない。死が意味を持つために生きていかなければいけない。意味というのは自分にとってのだ。意識が戻って部屋が見えたときにその覚悟はできたはずだったのに、愛して欲しい人に愛されないということで生きる気力がなくなってしまった。今まで生きていて18歳が一番苦しかった。一緒にいる時に感じる遠さから目を逸らしながら過ごしてきた。けれどどこかで信じていた。彼を、自分を、この先を見ていると思っていた。思うのは生まれてから今までしたことはすべて作業だった気がしてやまない。目を覚ますたび別の人間だと思う。毎日違う私が作業をして眠って死ぬ。死体を引きずってここまできた。肉体だけでどこまで行けるだろうか。私はその最後が知りたい、この目で確かめたい。