わたしは結構前から生きていたのかもしれない。ぬるい湯船に浸かっていて、遠くから声が聞こえるような気がする。けれどその声にわたしは気がつくことはない。あたたかい風が吹いてきて、それを胸いっぱい吸い込む。ずっと肺に空気を溜め込んでいたいのに苦しくなって吐き出す。そのたび、わたしは何かを忘れ、そして別のことを思い出す。

小さいころ、何かを見てきれいだなと思った記憶がない。何を見てもあたらしくて、きれいだったはずなのに何も憶えていない。わたしは小さいころに生まれる前から見たこと、聞いたことがあるような気がすることがよくあった。もうほとんど忘れてしまったけれど、夕方に商店街を歩いていてもらった赤い風船を手放して飛んでいってしまう。でも手から離れた時に前にもこんなことあったな、と不思議で立ちすくんでいた。いつからかこのような経験は減っていった。この前、父と鉄板焼きのお店でごはんを食べた。この先の場面で起こる嫌なことや不吉なことが予測できると言っていた。いいことは分からないらしい。嫌なことが予測できているのではなくて、そう考えることによって自分が変えてしまっているんじゃないかと話していた。なんとなく私もそれをわかる気がした。自分が考えることをやめれば回避できるのかもしれないが、どうしても無意識に頭をよぎるのだと話す。感覚が敏感で、ただ生きにくいだけの自分がどうやっていけばいいのか分からなくて、今は結局生活のためだと割りきって仕事をしていると続けた。お前もきっと生きづらさを感じているだろうけど好きなことが見つけれて羨ましいと言われた。本当は、私はまだ何かを作ることが怖くて仕方ない。いつしか動物や女の子の絵を描けなくなった。