私が見ていたのはあなたのかけらだったかもしれないけれど、それでもあなたのかけらを愛していたことが嬉しい。もう十分だなと思った、幸せだった。あなたに出会えてよかった。あなたがあなたでよかった。きらきらしていて、毎日次の朝が楽しみという感覚は初めてだった。私は嬉しい。自転車を漕いでいる、冬の風も喜んでる、彼に手を振って今日が終わるということ、もうそれだけで私は私でよかった、ちゃんと生きててよかった、私たちは別の場所で誰といたとしても今日私たちが一緒にいたということは本当で、それだけを抱きしめて生きていけるくらいに思う。思えなくなる日はきっとすぐに来るけれどそれでもわたしは生きてゆく。あなたの匂いを忘れ、探し、もう消えてしまってもあなた以外のものからあなたを見つける、あなたを感じる。

微熱のままぼんやりと、けほけほと咳をしながらベッドに入っている。去年の冬のことを思い出している。過去をなかったことにしたければ、出来るかぎりそうすればいいと思う。けれど記憶している唯一の自分から消えていくのが寂しいと思うときもある。私の悲しみは私だけのものであってほしい。秘密にしていれば自分だけのものになるのだろうか。人に話すことや、そのことを記憶したまま文章を書いたり絵を描くことで自分のものではなくなるのだろうか。ひどく寂しい。今は何も知らないふりをしてわたしのためにすり減らして生きている。ずっとずっとここにいる。

わたしは結構前から生きていたのかもしれない。ぬるい湯船に浸かっていて、遠くから声が聞こえるような気がする。けれどその声にわたしは気がつくことはない。あたたかい風が吹いてきて、それを胸いっぱい吸い込む。ずっと肺に空気を溜め込んでいたいのに苦しくなって吐き出す。そのたび、わたしは何かを忘れ、そして別のことを思い出す。

小さいころ、何かを見てきれいだなと思った記憶がない。何を見てもあたらしくて、きれいだったはずなのに何も憶えていない。わたしは小さいころに生まれる前から見たこと、聞いたことがあるような気がすることがよくあった。もうほとんど忘れてしまったけれど、夕方に商店街を歩いていてもらった赤い風船を手放して飛んでいってしまう。でも手から離れた時に前にもこんなことあったな、と不思議で立ちすくんでいた。いつからかこのような経験は減っていった。この前、父と鉄板焼きのお店でごはんを食べた。この先の場面で起こる嫌なことや不吉なことが予測できると言っていた。いいことは分からないらしい。嫌なことが予測できているのではなくて、そう考えることによって自分が変えてしまっているんじゃないかと話していた。なんとなく私もそれをわかる気がした。自分が考えることをやめれば回避できるのかもしれないが、どうしても無意識に頭をよぎるのだと話す。感覚が敏感で、ただ生きにくいだけの自分がどうやっていけばいいのか分からなくて、今は結局生活のためだと割りきって仕事をしていると続けた。お前もきっと生きづらさを感じているだろうけど好きなことが見つけれて羨ましいと言われた。本当は、私はまだ何かを作ることが怖くて仕方ない。いつしか動物や女の子の絵を描けなくなった。

彼は今頃眠っているのだろうか。ひどく寂しくても心臓が動く限り生きている。死んでしまいたいと何度も思うがもう死のうとすることはしない。諦めなければいけない。終わりが来るまでただ待つのだろう。その間に私には何ができるだろうか。彼をどうしたら愛せるのだろう。彼の幸せをただ願うことができたらどんなに楽だろう。彼の愛しているひとを愛し、彼のすることすべてを肯定し、彼の言うことを何もかも信じたい。

夜にラーメンを食べに行く。私は画塾で男の子とポケモンをする。昼前に起きて、ポケモンを進めてそのあと映画を見た。これから部屋を少し片付ける。私たちは死にきれなかったから仕方なく生きてる。多分地獄、私たちを幸せにできるのはたったひとりなんだけどその人は私たちを幸せにしてくれない。だから仕方なく私は私をなぐさめながら、適度に自分の機嫌を取りつつ生き延びる。私の孤独と苦しみだけは私のものだ。他のものは、身体も考えることも作るものも自分のものではない。幸せになりたいとか思いっきり嫌いになりたいとか本当は何も望んでなくて、ただ早く終わって欲しい。それだけでやっていける気なんてしないし、やってなんていけない。あの子は今も結婚するためにどこかに行ってしまったひとを思って一人で泣いているのかもしれない。また薬を飲んでふらふらになっているのかもしれないけれど、私は彼女をどれだけ愛しても彼女は救われない。たったひとりの、その女性に愛されなければ救われない。

結局、返事を何回も間違えて一人で泣いて無限にアホかと思う。今は駅にいて、何か食べ物とお土産を買うところ。彼に写真を撮ってもらった。脚立は硬くて冷たくて悲しかった。数年前の夏に写真を撮ってくれたことを覚えている。好きになったのはこの時だと思う。周りに人はいたけれど、私たちだけの空間にいるみたいだった。思い出を綺麗に書き留めることを彼は蔑み嫌うだろう。ずっとずっと考える。彼を本当に愛するというのはどういうことなのだろうか。透き通った愛するをできるのなら私は何も要らないと思う。若さゆえだろう。こういう気持ちを抱くのは間違いかもしれない。幸せになどならない。結局は私は私が大切で、都合の良い執着をしているだけだ。

試験が終わった。春には彼から離れることになるだろう。今の彼は前の彼と別人になっている。そして次に会う彼はもっと別人になっているだろう。多分、私は今の彼を通して過去の彼を見ていた。むなしさは増すばかりで、彼に対しても失礼なことだった。何度も何度も過去の彼は顔を出す。私は私の中の過去の彼を正しい形で弔わなければならない。それと同時に過去の私も弔わなければいけない。けれど私達が“いた”ということは事実だということ。午前3時に彼の部屋で抱き合って一緒に生きていこうと言われ、泣いて喜んだことも事実だということ。全部否定して悪口を言って嫌いになったふりをするのは楽だ。

 

私の執着は愛でもないかもしれない。でも目に見えるほどの執着の方がよほど確かなものじゃないかと思う。

私は彼への執着を形にする。それが弔いになればいいと願う。